平田智剛のブログ

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餌用ハムスターは愛されるべきか

おはようございます。

僕はハムスター大好きなのですが、

蛇にハムスターを生餌として与える動画を見てしまいました。

動機は単純。「ハムスターの生餌にされるミルワームも、ハムスターと全く同じ命である」ことを頭でしか理解できていない自分が許せなかったからです。

そのハムスターは人間にとても懐いていて、蛇に出される最後の最後まで可愛がられていたことが、その動画からよくわかりました。

愛情を注いでおいて、最後裏切るなんて、人間ってどこまで残酷なんだろうと思いつつ、「餌だから愛情を注がない」場合についても、考察してしまいました。

実はそれもまた人間のエゴなのかなと。

餌にされようがペットにされようが、ハムちゃんも、ミルワームも、蛇も、人間が死刑執行の判を押すその時まで、一つの幸せになるべき命として生きています。

「餌にも命がある。だったら、餌の人生の最後の一瞬だけ裏切ってしまうけど、それまでの間なるべくずぅっと幸せでいてもらいたい」

この考えが、本当に残酷なのだろうか。

生まれたときから「お前は餌。愛など必要ない」と割り切るほうが、餌ではあるものの一つの命である動物の権利を踏みにじっているような気もします。
だって、それって、裏切るときに心が苦しくなるのを少しでも緩和しようという、人間の勝手な都合なだけですから。
生後1年の餌用ハムスターには、(1440×365)-10分間の短い命の期間を、どうして幸せに過ごす権利がないのでしょうか。苦しむのは最期の10分だけにしてあげてはダメなのでしょうか?

もちろん、最終的な判断は飼い主さんたちに任せます。

「ペットやその餌の権利など飼い主個人の裁量の範囲内」という考えも尊重します。

家畜を育てている農家さんが、「家畜は道具」と割り切るのも否定しません。

ただ、もしも迷いを持ってしまう心優しい飼い主さんの方が、僕の記事を読んで、さらに考えを深めるきっかけになったらな、という思いで書いてます。